じゃけんマーティブラウンじゃって
今日帰りの電車の中での出来事。
ドア付近に立っている今どき風の女子高生と男子高生。
ただの同級生なのか、カップルなのか
微妙な感じなのか、最後までわからなかったんだけど、
他の子と何も変わらない感じでした。
ただ、違ったのは、
言葉がなく、二人の会話が手話だったこと。
男の子は制服で、女の子は私服だったので、
同じ高校ではないだろうし、
どちらかが聞こえないのかな~と思ったんだけど、
あまりに二人の手話が流暢だったので、
二人とも聞こえないのかもしれません。
結局よくわかりませんでしたが、
二人で真剣に話している姿に感銘を受けてしまいました。
前の仕事が病院だったことで、
障害者に対する考え方が昔とかなり変わりました。
病院では、先天性のものから事故、病気、
いろんな理由で体に障害を持った人がいて、
少しでもその人たちの障害を軽くするため、というよりは、
障害を進めないため、もしくは障害とうまく付き合っていくことを
指導する立場でした。
ほとんどが、中高年か高齢者だったんだけど、
中に同年代の女の子が一人いて、
その子は先天性の病気で足が不自由でした。
先天性なんだけど、小学校の低学年までは走れて、
中学校まではなんとか歩けた、とのことでしたが、
私が出会った時は一人での歩行は10歩が限界と
いった感じだったと思います。
でも、とっても前向きな子で、治癒の見込みはないのに、
いつもリハビリは一生懸命、
明るく元気で、屈託なくなんでも話してくれるし、
障害を感じさせない女の子でした。
障害を持っていても、こんな風に生きられたら
とても素敵だな、と思っていたのですが、、、
ある日その子が、
「今は、私の病気、生まれてくる前に判断することができるんだって」と
話してくれました。
「でね、お母さんに、もし、私が生まれてくる前に、この病気だってことわかってたらどうした?産んだ?って聞いたの。
そしたらね、お母さん即答で『産まない』って言ったんだよ」と。
……
そんなことないでしょ、、、
「いや、そう思ってるんだって。
だってね、産んだことにより、私は他の人より大変な目に遭ってるでしょ、って。
まだまだ日本は障害者に優しくなくて、暮らしにくいから」
と。
衝撃でした。
自分はこういう仕事をしながら何にもわかってなかったのかな、と。
いや、いろんな人を見すぎて、感覚がマヒしてたのかも。
当時、といっても5年くらい前の話、
駐車場には車いすゾーンが設置され、バリアフリーはどんどん
普及してた時だったのに、
障害者の生の声を聞いた気がしました。
その言葉を聞いた時から、ずっと、今も、
自分の五体満足に感謝して、
障害者の力になることはできないかと考えてます。
また、障害者が健常者と同じように暮らしている姿を見ると
多分他の人以上に安堵感を感じマス。
パラリンピックは見てるだけで涙がでました。
今はまだ、なにもしていないけど、
いつかきっと、みなさんの何か役に立てることができれば
いいな、と漠然と考えるようになりました。
ただ、自分の中で「ボランティア」とか「手伝う」とかいう
言葉に違和感があり、どのようにしたらいいのか分からないのが
正直なところなんですが。
今日の高校生を見て、また新たにその気持ちが強くなりました。
何からしたらいいのかな。
何が私にできるかな。
RYO
ドア付近に立っている今どき風の女子高生と男子高生。
ただの同級生なのか、カップルなのか
微妙な感じなのか、最後までわからなかったんだけど、
他の子と何も変わらない感じでした。
ただ、違ったのは、
言葉がなく、二人の会話が手話だったこと。
男の子は制服で、女の子は私服だったので、
同じ高校ではないだろうし、
どちらかが聞こえないのかな~と思ったんだけど、
あまりに二人の手話が流暢だったので、
二人とも聞こえないのかもしれません。
結局よくわかりませんでしたが、
二人で真剣に話している姿に感銘を受けてしまいました。
前の仕事が病院だったことで、
障害者に対する考え方が昔とかなり変わりました。
病院では、先天性のものから事故、病気、
いろんな理由で体に障害を持った人がいて、
少しでもその人たちの障害を軽くするため、というよりは、
障害を進めないため、もしくは障害とうまく付き合っていくことを
指導する立場でした。
ほとんどが、中高年か高齢者だったんだけど、
中に同年代の女の子が一人いて、
その子は先天性の病気で足が不自由でした。
先天性なんだけど、小学校の低学年までは走れて、
中学校まではなんとか歩けた、とのことでしたが、
私が出会った時は一人での歩行は10歩が限界と
いった感じだったと思います。
でも、とっても前向きな子で、治癒の見込みはないのに、
いつもリハビリは一生懸命、
明るく元気で、屈託なくなんでも話してくれるし、
障害を感じさせない女の子でした。
障害を持っていても、こんな風に生きられたら
とても素敵だな、と思っていたのですが、、、
ある日その子が、
「今は、私の病気、生まれてくる前に判断することができるんだって」と
話してくれました。
「でね、お母さんに、もし、私が生まれてくる前に、この病気だってことわかってたらどうした?産んだ?って聞いたの。
そしたらね、お母さん即答で『産まない』って言ったんだよ」と。
……
そんなことないでしょ、、、
「いや、そう思ってるんだって。
だってね、産んだことにより、私は他の人より大変な目に遭ってるでしょ、って。
まだまだ日本は障害者に優しくなくて、暮らしにくいから」
と。
衝撃でした。
自分はこういう仕事をしながら何にもわかってなかったのかな、と。
いや、いろんな人を見すぎて、感覚がマヒしてたのかも。
当時、といっても5年くらい前の話、
駐車場には車いすゾーンが設置され、バリアフリーはどんどん
普及してた時だったのに、
障害者の生の声を聞いた気がしました。
その言葉を聞いた時から、ずっと、今も、
自分の五体満足に感謝して、
障害者の力になることはできないかと考えてます。
また、障害者が健常者と同じように暮らしている姿を見ると
多分他の人以上に安堵感を感じマス。
パラリンピックは見てるだけで涙がでました。
今はまだ、なにもしていないけど、
いつかきっと、みなさんの何か役に立てることができれば
いいな、と漠然と考えるようになりました。
ただ、自分の中で「ボランティア」とか「手伝う」とかいう
言葉に違和感があり、どのようにしたらいいのか分からないのが
正直なところなんですが。
今日の高校生を見て、また新たにその気持ちが強くなりました。
何からしたらいいのかな。
何が私にできるかな。
RYO
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